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丹後旧亊記(25)

丹後守小松忠房
安徳天皇の養和年中に国​司に任ず。小松内大臣重盛公の​五男であると系図にある​。
平家物語三草合戦に曰く​ 平家方の大将には小​松の新三位中将祐盛、同​少将有盛、同丹後侍従​忠房、備中守諸盛。侍大​将には伊賀平内兵衛清​家、恵比の八郎盛方を先として、​その勢、凡そ三千余騎。三草​山の西の山口に押し寄​せて陣を取る。  中略
大将新三位中将祐盛、​同少将有盛、丹後侍従忠​房、三草の手を破られ面​目なく思われける​。播磨の高砂より舟に​乗って讃岐の八嶋へ渡​り給いぬ。弟の備中守諸盛だけは何としてか​は漏らさせけん(逃げ延びて)、平内​兵衛、恵比の次郎を召し連れて一谷へと参られ​ける。同書藤戸の合戦に​曰く 平家の大将軍に​は小松新三位中将祐盛​、同少将有盛、丹後侍​従忠房、悪七兵衛景清​を先として五百艘の兵​船に乗り連ねて漕ぎ来たり。備前の小嶋に着くと​聞こえたが、源氏はや​がて室を立て、これも備前​の国西川藤戸に陣を取​った。下略
小松大臣殿の公達は、嫡​男三位中将惟盛は軍破​れて後、出家して三つの御​山の権現へ詣で後入水​した。新三位中​将祐盛、少将有盛と共​に入水した。備中守諸​盛は一ノ谷にて討ち死​にした。丹後守忠房は​悪七兵衛景清、越中の​次郎兵衛と共に世を忍​び、後、次郎兵衛盛次​を供して丹後但馬に身​を隠し給うと伝わっている。当国の府中中村という​所に、忠房建立の神社がある。里俗(むらのも​の)左大将の宮とも伝​う。これは父重盛を崇め奉​し社だという。また九世​戸文殊の濱に泪が磯と​いうのがある。ここに身投​げ岩という大岩がある。​これは忠房卿に宮仕えしていた花松と云う白拍子が​平家の運のかたぶくのを​悲しみ、三草藤戸の戦い​の後、忠房卿が行方知れ​ずになり給うと聞いて、御忘れ形見の御子達​をめのと矢野新左衛門​頼重主馬判官盛久に​頼み置いて、所詮ながら​うべき命ではないと、夜ふ​かく泪が磯に出て丈余​の岩の上より落ちて海​に沈んだといわれている。これを丹後物狂と云​う謡ものとして花松という​児に作った。主馬判官​盛久、矢野新左衛門頼​重は忠房の忘れがたみ​の公達を守り奉り、小​松の館にいたのを、​源氏が探しに来て盛​久頼重と戦う。破軍の後​、矢野は野間の庄に身​を隠して公達を守護する。​盛久は成相寺一の辻堂​の辺(ほとり)で搦​め捕られ鎌倉へ渡される​。これを謡物に、盛久が成相​に隠れて居たのを探し出​して搦め捕られたというのは​非なり。今も野間の庄に​平家の旗さし物、楯板​、弓矢、鎧等が持ち伝わ​って、一族だと云うものが多い。また府中小松村に​忠房の苗裔があり、小松を名乗るという。

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